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おかやん@中野

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 おかやんで一杯。 数日京都に行っていて、その帰りの新幹線から中央線でそのままお店へ。助手みたいな人が増えてた。 ビールに刺身3点盛り。さごしの霜降り、甘エビにしらす。安くて旨い。そしてメヒカリ。仕入れてから中野のお店で干しているから中野干しなのかな。 これがまた脂がのっていて、淡泊な味わいながらも美味しい。
 お酒を焼酎のロックに。 京都から東京までの間に缶ビールを6本飲んだので、もう十分にいい感じに酔ってた。豆腐の味噌漬けをちびりちびりと舐めて、散々京都で食べた鱧の落としを食べてご馳走様。
by atsushisaito | 2014-07-05 12:31 | 飯@中野 | Comments(2)

珈琲工房 HORIGUCHI 世田谷本店@千歳船橋

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 いつもだいたい珈琲豆は、買いに行くのが面倒くさいのと結局お店までの往復の電車代を考えると、それほど買いに足を運ぶことが安さに繋がるわけではないので、東京の店でも通販で購入することが多い。 いろいろなお店でいろいろな豆が購入できるのが通販の楽しさだが、やはりどこでもいいというわけでもなく、それなりに信頼できるお店、というわけでここ堀口で買うことがわりと多い。
 千歳船橋にその堀口がやってる喫茶店があるというので、行ってみた。自己流で淹れてばっかりより、外で飲むことでいろいろな基準が自分の中にできて、それを家で淹れるときにフィードバックできるからだ。 
 入り口に入ってすぐに豆の販売カウンターがあり、その奥にカフェのスペースがある。店員さんは皆明るく、人気店の自信と余裕が感じられる。堀口の珈琲はブレンドが多彩で、明確に浅煎りから深煎りまで段階的にナンバーリングされている。この日は2のすこし浅煎りのブレンド。 華やかな香りが強く柔らかい苦みとのバランスが素晴らしい。 千歳船橋の人たちは、気軽にこんな旨い珈琲が味わえるなんて羨ましい。
 ちょっと知ってる風に書いたけど、実は初心者です。
by atsushisaito | 2014-07-04 12:41 | 飯@世田谷区 | Comments(0)

くもん屋@高知

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 高知の最後の夜のお店。 高知はいろいろと楽しそうなお店があって、もう少し時間があればなあ、と名残惜しい。
 ここ、くもん屋も楽しい居酒屋だった。 狭いカウンターだけのお店だけれど、マスターが地味に気を使ってくれる。 高知の日本酒をぐいぐいと飲みながら、お通しに海藻のテンプラ。 そして鰹刺し。さすがに値段が安いからか、切れ味のするどい刺しではなかったけれど、これはこれで旨し。 
by atsushisaito | 2014-07-03 12:21 | 飯@23区外 | Comments(0)

鍋焼きラーメン@高知

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 本場の須崎ではなくて、高知市内のラーメン屋だったから、もしかすると本場は凄まじく旨いのかもしれない(市内の居酒屋の姉さんは笑っていたが)。 登場したラーメンにびっくりした。鍋の中で煮えたぎっているのだ。 当然、熱い。熱すぎるのだ。 
 僕は常日頃から、ラーメンを一口食べて「ぬるい」と口に出す輩に対して、日ごろからどれほど熱いラーメンを食べているんだ、と疑問に思う。熱ければ熱いほどいいなんて、頭が悪すぎるだろう。熱ければ熱すぎるほど、口に入れることも不可能なんだ、とあらためてこの煮えくり返り続ける「ラーメン」を見つめながら思った。 そして、そのラーメンは熱いのである。 旨い不味いを通り越して、ただ熱い。
 これが本当にローカルな食べ物として根付いているのかが、はなはだ疑問だ。 でも、名物だそうだから、美味しく食べている人もいるんだろうなあ。
by atsushisaito | 2014-07-02 12:59 | 飯@23区外 | Comments(0)

まつや@神田

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 東京で蕎麦というと、外せない老舗。前は通ったことはあったが、入ったことはなかった。 中に入ると、少しばかり昼の時間帯を外しているというのに、活気で賑わっていた。当然相席になる。注文はもりそば大。大じゃなくてもよかったのだけど、なんだかたくさん蕎麦を食べないと勿体ないという衝動に襲われて、大。
 隣の人も大だった。 名前だけで蕎麦はたいしたことないんじゃないかと思っていたけれど、これがしっかりとしたもので、汁も出汁を凝縮していて、蕎麦湯を注がないことにはその香り、味を開かないようなポテンシャルを感じさせるもので、さすが老舗、と思わせられるものがあった。
 配膳のおばちゃんが、なにか勘違いしたのか、蕎麦湯はお二人で一つでいいですね、とかほざきながら一つだけ蕎麦湯を置いていった。 おそらく、友人同士で来てるのと勘違いしているのだろう。これには腹が立った。一人で来ていようと、友人と一緒に来ていようと一人前の料金は払っているのだ。 これは自分が偏屈なのだろうか、と他のテーブルを見てみると、普通に一人に一つ、蕎麦湯が来ている。僕は頑なににその蕎麦湯を使うことを拒否した。ゆっくりと蕎麦を手繰り、隣の人と時間差をつけた。
 隣の人にとっても心苦しい時間であったろう。なにせ、隣の食べ具合に気を使って、蕎麦湯を使う量に気を使うのだから。 蕎麦を食べることにおいて、最後の蕎麦湯の時間ほど、自由に解放されないといけない時間はない。それを一人の仲居に無茶苦茶にされてしまった。 ただし問題は、この仲居には悪意はなかったということだ。悪意のないことを責める気にはなれない。誰にでもミスはある。 しかし、誰かと蕎麦湯を共有するなら、相席が常となる本店においては、もう少しばかりの確認があってしかるべきではなかったか。
 僕の様子に気づいて、他の人が蕎麦湯を持ってきてくれたので、僕はその後ゆっくりと楽しむことができたのだが、やっぱりすっきりしない。
by atsushisaito | 2014-07-01 12:33 | 飯@千代田区 | Comments(1)