2014年 07月 01日 ( 1 )

まつや@神田

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 東京で蕎麦というと、外せない老舗。前は通ったことはあったが、入ったことはなかった。 中に入ると、少しばかり昼の時間帯を外しているというのに、活気で賑わっていた。当然相席になる。注文はもりそば大。大じゃなくてもよかったのだけど、なんだかたくさん蕎麦を食べないと勿体ないという衝動に襲われて、大。
 隣の人も大だった。 名前だけで蕎麦はたいしたことないんじゃないかと思っていたけれど、これがしっかりとしたもので、汁も出汁を凝縮していて、蕎麦湯を注がないことにはその香り、味を開かないようなポテンシャルを感じさせるもので、さすが老舗、と思わせられるものがあった。
 配膳のおばちゃんが、なにか勘違いしたのか、蕎麦湯はお二人で一つでいいですね、とかほざきながら一つだけ蕎麦湯を置いていった。 おそらく、友人同士で来てるのと勘違いしているのだろう。これには腹が立った。一人で来ていようと、友人と一緒に来ていようと一人前の料金は払っているのだ。 これは自分が偏屈なのだろうか、と他のテーブルを見てみると、普通に一人に一つ、蕎麦湯が来ている。僕は頑なににその蕎麦湯を使うことを拒否した。ゆっくりと蕎麦を手繰り、隣の人と時間差をつけた。
 隣の人にとっても心苦しい時間であったろう。なにせ、隣の食べ具合に気を使って、蕎麦湯を使う量に気を使うのだから。 蕎麦を食べることにおいて、最後の蕎麦湯の時間ほど、自由に解放されないといけない時間はない。それを一人の仲居に無茶苦茶にされてしまった。 ただし問題は、この仲居には悪意はなかったということだ。悪意のないことを責める気にはなれない。誰にでもミスはある。 しかし、誰かと蕎麦湯を共有するなら、相席が常となる本店においては、もう少しばかりの確認があってしかるべきではなかったか。
 僕の様子に気づいて、他の人が蕎麦湯を持ってきてくれたので、僕はその後ゆっくりと楽しむことができたのだが、やっぱりすっきりしない。
by atsushisaito | 2014-07-01 12:33 | 飯@千代田区 | Comments(1)