米田知子展―終わりは始まり

米田知子展―終わりは始まり@原美術館

 ずいぶんと久しぶりに原美術館。て、前回から3年ぶりなのか。いやあ、そんな経つのかなあ。そういう感じはしないのだけど。米田知子って何度かグループ展で見た(何度もってほどじゃないか)くらいで、ちゃんと見るのは初めて。いやあ、こういうの好き。写真や映画、だいたいにおいて(食は別)積極的に事前情報を入れないで見たい、というのがあって、今回も会場に来てから、あ!この人かあというくらいの知らなさを持って、観た。  そういうことかあ、という発見が(あくまで自分の中で。他の人には周知なのだろう)あったので、内容省略。 面白くて図録も購入。

「アメリカの写真」Part II@P.G.I

 暇だったので、そのまま田町まで歩く。意外と距離があった。ミズラックの写真が30万って安いと思うのだけど、どうなんだろう。内容の濃い展示で面白かった。エメット・ゴーウィン、サリー・マンなどもよかった。 しかし知らない作家の方が多かった、、、、勉強不足。

スナップショットの時間 〜三浦和人と関口正夫〜@三鷹市美術ギャラリー
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 まず、初めに。だいぶこの写真展との話はずれる。とぶ。そして適当に終わる。ちゃんと書くほどの集中力も労力も今の僕には持ち合わせていない、だけどちょこっと書きたい、そんな気分。 一番最初に引っ張り出してきた資料は、森山大道と中平卓馬の山の上ホテルでの対談。「何でもないことを書くということと、何でもないものを撮るということは全然違うからだ」 コンポラ写真に対する中平の発言。
 ここで話がとぶ。 ある時期まで好きだった漫画家よしもとよしともの新作に腹が立った。漫画家がそこに行くんじゃないよ、と。 佐内正史調の情景がたんたんと流れる。ある種の思考放棄を感じた。委ねていいところとそうじゃない場所がある。ただ、つまらないということなら僕は立腹したりしない。その勘違いな積極性が僕を腹立たせた。 なぜ勘違いか。マンガと写真は違うからだ。 
 ここからちゃんと論を展開させなければ、ただの戯言になるのだが、ここでやめる。わかる人にはわかればいいし、わからない人にはわからなくていい。 とぶ。
 今回の二人を語るうえで牛腸茂雄の存在を欠かすことはできないだろう(かといってここで語るわけではない)。 そしていままでもそういうバックグラウンド付きの作家としてやってきたと思う。だけど僕は牛腸と彼らが全く同じのベクトルにいたとは思えない(展示の話とは関係ない)。同時代、一緒に写真集を出すほど身近にいた彼らだが、牛腸が表現した世界とは全く別だ。 フリーク(牛腸は病気で奇形だった)と分類される撮影者に注がれる目線の中にいた作家に「無感動に、さわやかに生きていることが不思議でならない」という中平の言葉は当てはまらない。もちろん、その言葉は、牛腸だけに向けられたものではない。
 しかしその言葉は、本展示の作者たちにはどうなのだろうか。 別にさわやかに生きているわけではないだろうが、正面から対峙したい写真ではなかった。 できるだけ努力はしてみた。一枚一枚の写真、それらが悪いわけではない。 だが、それにしてもそこまで凡庸とし続けなければいけないのか。 とぶ。
 警備員や監視のおばちゃんたちのポジションが悪い。 もうちょっとおばちゃんと作品の間に空間が欲しかった。
 スナップが好きな人は見たほうがいいと思う。僕はスナップ嫌いだから。
  
あ、支離滅裂なのは承知です。
Commented by totomi at 2008-09-19 12:04 x
「全く同じのベクトルにいたとは思えない」というのはそうだなーと思います。今回の二人にしても、二人ともずいぶん違うなと、展示みてあらためて思いました。この違いは、写真展をあんまり見たことのない人でもはっきりと感じられるもののようです。周囲の感想からすると。
でも、わたしさいとーさんの写真って、大きくくくるとスナップなのかと思ってたのに本人はスナップ嫌い!?というのがおもしろいなぁと思ったのですけど。ふだん撮ってるのって、スナップとは違うという意識?ですか?
Commented by atsushisaito at 2008-09-19 12:41
うーんと、スナップていう意味が広義なので、その各人の線引きも違うわけで
なかなか難しい、というか安易にスナップ嫌いって書いちゃったなあ、と思いました。
一番、僕の意識の中で大きいのは撮ったもの、と撮れてしまったもの、この2つに大きな違いがあると考えます。
もちろんカメラという機材を使う以上どんな形にせよ、カメラには依存しなければ写真は撮れない、それは承知ですが、では対象にまで依存してしまうことはどうなのか? 
これもあるものしか撮れない以上、すべてが依存である、と言いきれてしまうとは思うのですが、なにかその依存から脱却する意識、そういうのが
感じられるものであれば、その「スナップ」という軽い響きとの線引きが
できる作品であるのでは、と思います。

あ、なんか質問と違うなあ。
すいません、もう一度、再考します。
「スナップ」という言葉を軽視してるところは自分自身あるように思います。
夜にもう一度。
Commented by atsushisaito at 2008-09-19 12:51
wikiからの引用ですが、
下準備その他特にせず、日常のできごとあるいは出会った光景を一瞬の下に撮影する写真

の下準備には「何か自分の撮りたいものを撮ろう」という「心の下準備」は上記の下準備にはいらず、それはスナップ写真の意味を損なうものではないと。

そういう意味ではたしかに僕もスナップですね。
僕の勉強不足でした。スナップ大好きです。
Commented by totomi at 2008-09-19 13:19 x
ああー、いや、わたしもあんまり深く考えずに聞いてしまったのですいません。そんなに簡単に答えのでる話じゃないですよねえ。
「心の下準備」が重要だってことは、牛腸も書いてましたね。何げない一瞬をとらえるためには、それまでの日常をどれだけ意識的に生きているかがだいじだ、というようなことを。見た目には醒めていても、その裏にはとてもあついものがあるんじゃないか、とも。(うろおぼえですが)

でも、大きくくくると「スナップ」でも、三鷹での展示には何かしら違和感を感じたさいとーさんが、たしかにいたわけで、その違和感みたいなものも大切なんじゃないかと思うので。べつにそこを「違うじゃない!」と言おうとはまったく思ってないです。というかむしろそのへんがおもしろいし、わたし自身も考えてしまう点です。

ううむ。
Commented by atsushisaito at 2008-09-19 14:41
では続きは、おいしいものを食べながらスナップ写真を語る会で。
Commented by totomi at 2008-09-20 00:10 x
ですねー

あ、お魚のおいしいお店とか行きたいです。リクエスト。
Commented by atsushisaito at 2008-09-20 00:28
じゃあ、高田馬場の「まずい魚 青柳」に行きましょう!決定!2階のお座敷で。 おいしいスナップ写真家、用意しておきます。

Commented by totomi at 2008-09-20 20:10 x
いい店名だなぁ… 決まりですね
by atsushisaito | 2008-09-17 22:37 | 写真展 | Comments(8)