2022年 04月 17日
Alec Soth 「 A Pound of Pictures 」
この写真集を最初に開いた時、自分が抱いているソスの作品のイメージと何か大きく違うなという印象を受けた。それは違和感ともいえるものでどちらかというとネガティブなものだった。もちろんソスだっていつまでもSleeping by Mississppiの時の挑戦者でいられない。成長もするし成熟もする。だけど最初にこの作品を見た時に「ソスはどこにいるの?」という気持ちになった。
初めに結論から入ると、これまではカメラを通して世界と対峙してきたソスだが、本作品ではソスはその世界の内側にいて、そして自分は今どこにいるのか、そんな探求や問答の果てに出来上がったのがこの作品。そしてその明確な答えは写真集の1枚目の写真、友人の写真家 Ed Panarが墓地から夕焼けを写す後ろ姿と、その時の心情を描いたテキストにある。
“ Edが撮ってる場所で同じように撮影する自分を想像できなかった。その景色は写真を撮るのにあまりにも型にハマりすぎた場所だった。でも同じ場所にカメラをセットして、その墓地からの光景を見下ろして見ると、僕はEdの気持ちがわかったような気がした”(超訳)
今回のソスのロードトリップは、リンカーン大統領が1865年にワシントンで暗殺され、その遺体をイリノイ州の自宅まで運ぶ葬列列車の軌跡を追うという企画から始まった。当時、トランプ政権に反対する動きが広がっていた。南北戦争時のリンカーン大統領を良き大統領の象徴とし、史上最低のトランプを降ろそうというリンカーンプロジェクトが同時期に始まっていたので、反トランプ派のソスもそれに影響を受けてのことかもしれない。
だが、撮影は思うようにいかなかったようで、葬列を追うという目的は中断した。しかし旅は続行された。その道中で重さ1ポンド単位で手に入れたアノニマスな写真の束が本作のタイトルとなっている。もともと収集癖のあるソスだが、思いのほかこの誰かに発信する為に撮られたものではない、純粋にとどめておきたいという思いで撮影された写真群に引き込まれたようだ。
おそらくリンカーンの葬列を追う段階で、写真を撮ることにソス自身に迷いが生じたのではないだろうか。これまで名作を生み出し続けてきたアメリカ写真を代表する写真家が本気で悩んだのではないかと思う。制作中断にはコロナも大きく影響を及ぼしただろう。写真が撮れない長い時間がソスをさらに悩ませたのかもしれない。そんな撮れなかった時期を経た先に生まれたのがこのA Pound of Picturesという作品だ。
1枚目にEd Panarの写真を配置した意味。写真を撮り慣れた人なら、シャッターを押す前に出来上がりを想像することは容易い。そこで撮ってもなあ。そんな気持ちに自分がなってることにソスは気づいたのだと思う。僕自身、Ed Panarのストレートな眼差しやそのアイデアがとても好きで、写真にいつまでも純粋なエドを目の当たりにしたソスの葛藤している姿が目に浮かぶ。ソスはこの時、心が洗われたような気持ちになったのではないだろうか。
A Pound of Picturesには撮る人、花、そしてアノニマスなファウンドフォトが繰り返し登場する。世界中で花はその生の営みの中であたかも無限のように咲き続ける。現代では誰もが手軽に写真を撮ることができ、そして無数の写真が今この時に生まれ続ける。その激しい潮流の中で撮ることの意味を考えた。人はなぜ記憶にとどめる以上にシャッターを押して記録するのか。それは残したいという衝動以上のなにものでもない。アマチュアが撮る一枚とソスが撮る一枚、衝動は等しく同じでどちらが重いかという問いほど無意味なことはない。それがA Pound of Picturesというタイトルの意味であり、その記録したいという衝動は等しく美しい。おそらくそういう意味も込めてソスはこんな言葉を残している。
「この本の中の写真には、きらきらと輝く表面以外に意味はありません」
過渡期の中の迷作かなと一瞬思ったのだが、これらを理解してもう一度本書を開いて一枚一枚をゆっくり注意深く見ていくと、全てが愛おしく素晴らしい瞬間に見えてきた。エグルストンがひらひらと蝶のように色彩を求めシャッターを押すように、ソスは始原に立ち返って光に向かってシャッターを押した。最初にその居場所が見えなかったソスだったが、今では光景に向かってシャッターを押すソスの姿が見えるようになった。作品を見る側としてソスのいる場所に同じように立てた気がした。
写真集に収録されている最後の写真は、ソスの撮影風景によく登場する車のハンドルにメモを貼り付けている風景。ソスはこのメモを頼りに撮影する場所を探す。このメモ的なのが表紙に題箋貼りされている。そっけない雰囲気の表紙だが、これはここからソスのロードトリップが始まるというサインだ。そして最後の1枚は旅は終わらないという明確な決意表明かもしれない。今作品を通過したソスの次の作品が楽しみだ。
個人的にはエンディングのBGMにはUnderworldのBorn Slippyを流してもらって、トレスポのレントンにメモのワードを一つ一つ朗読してもらってフェードアウトしてもらいたいw