after a criminal investigation

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 昨年の8月に手にした写真集「A Criminal Investigation」に衝撃を受けたことに端を発し、ネガを持つ渡部雄吉氏のご子息に会うことができた11月、それから半年以上を経過した今年の6月末に東京でその展示を開催することができた。
 写真集「A Criminal Investigation」が出版されることになった切っ掛けの神保町でヴィンテージのプリントを発見したという英国人Titus Boederさんとは、展示の企画段階から連絡を取り合っていた。そこで話題となり東京にいる私の宿題になったのは、写っている人は誰であったのか、まだ存命なのかということ。展示が終了するまでそのことを調べる余裕がなかったのだが、展示終了後の数日後に警視庁捜査一課を名乗る方からギャラリーのほうに電話があった。話を聞いてみると捜査一課のある方が私的な旅行でパリに行った際に「A criminal investigation」をたまたま手にされそれを持ち帰ったところ、この登場する刑事は誰だ?ということが一課の中で話題となったそうだ。てっきり展示から興味をもたれたのかと思っていたのだけど展示のことは全然知らなかったという。調べてみると僕が企画したこういう展示があったことを知り、展示の企画者なら有益な情報を持っているのではないかということで連絡をくれたとのこと。 当然僕からなにか提供できる情報はないわけで、捜査一課の調査を後日教えていだくことに。 そして数日後、登場人物であるベテラン刑事 向田力さんのご子息から電話をいただいた。
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 とりわけ写真集の中でも中心人物である向田さんは、当時42歳。失礼ながらもう少し年配の方かとも思っていた。向田さんは相撲好きで、相撲博士の異名をとるほどであった。 写真集には掲載されていない写真では、向田さんが家で寛ぐ姿がネガに写っているのだが、その向田さんの後ろのチャブ台で子供たちがご飯を食べているところの一番年長の息子さんが、僕が話した息子さんで、お父さんである向田さんと同じく警察官になられ、すでに定年退職しているというのだから、経過した時間の長さがうかがえる。  
 その向田さんのご子息から、一緒にコンビを組んでいる若い刑事さんは事件が発生した場所である茨城県警の方だという情報が得られた。なので、茨城県警にその旨を連絡した。数日後ぼくの携帯に着信があり留守番電話を聞いてみると 本人ですという音声が。すぐに折り返しお話させてもらったところ、こちらが驚くほど当時の事件をよく覚えておられていた。手元にメモもないまま、貴重なお話を聞くのはもったいない気がしたのでその場での話はそこそこに切り上げた。 茨城県の笠間市にお住まいということなので、後日お会いすることに。
 常磐道を北に走りながら、向田さんからお聞きした話を反芻した。 とりわけ一番興味深いお話だったのは、ベテラン刑事の向田力さんが山形出身だったということ。渡部雄吉の出身も山形だ。当時の東京で同じ山形の言葉を話す二人が仲良くなるのには、そう時間はかからなかっただろう。 そのことをメールでBoeder氏に伝えると、興奮気味にきっと子供のころからの友人だったんだ!と返ってきたが、残念ながら渡部雄吉氏は酒田で向田力氏は蔵王だ。 ずっと遠い。Boeder氏は、なぜ渡部雄吉が殺人事件の捜査に密着できたのか、ということに対する答が欲しかったのだ。
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 笠間市に到着し家の近くまで行くと、一人の老人が出迎えてくれた。 当時の若い刑事である緑川勝美氏だ。展示のためにずっと顔を突き合わせていた写真の中の若者が、目の前に80歳前の老人として現れたのだから不思議な気持ちだった。 電話でもその記憶に驚いたが、会ってみるとそれ以上にしっかりしていて再度驚いた。 
 バラバラ殺人事件は、当時の社会からすると驚くほど猟奇的な事件だった。もちろん現在だってバラバラ殺人だなんてそう当たり前にあるわけではないけれども、当時の茨木の田舎の県警ではてんやわんやの大事件だった。そういうわけで氏の記憶もとりわけはっきりしているのかもしれない。 犯人が硫酸を購入した場所から、遺体を焼却し残りを詰めたブリキ缶が仙波湖を何メートル移動したなど、と事件のあらましから詳細に説明していただいた。とはいうものの、氏は現場には行っていないそうだ。遺体からは身元がわかる指紋などの情報は得られなかったものの、遺留品の中から東京の旅館の手拭の切れ端が見つかったことで、県警は捜査の手を東京に広げた。そして緑川氏ら県警の刑事は警視庁捜査一課に派遣された。
 地理に不慣れな県警の刑事だけでは捜査はおぼつかない。なので捜査一課と県警の刑事が二人一組になって捜査をすることになった。くせ者揃いの捜査一課との連携はなかなかに難しかったそうだ。 しかしそんな中で当時まだ25歳と捜査本部最年少だった緑川氏と向田氏とのコンビはわりといい関係を築けた。 刑事になるのが早かった緑川氏は派遣された県警捜査チームのほかのメンバーと比べると一回りほど若かった。作品中の会議室の写真で緑川氏がお茶を汲んでいるシーンがその状況を物語っている。向田氏としては、素直に言うことを聞く新米刑事は使いやすかったんだろう、と緑川氏は言った。結果、二人は事件の解決に繋がる手掛かりを発見し、後に表彰され賞詞を授与されている。
 緑川氏の話を聞いていると、もしかしたら作品中の写真は全て撮影のためにセッティングされたものであったのか、という思いがでてきたので、素直にそれを氏にぶつけてみた。すると「捜査ですよ」と力強い返事が返ってきた。 たしかに渡部雄吉のディレクションで撮影した場面は存在する。しかし、作品の写真は確かに実際の捜査中に撮影された写真だ。 
 一月に発生したバラバラ殺人事件、、向田緑川のコンビは二月に岐阜に飛んだ。コンビが発見した犯人が書いた宿屋の台帳の住所を調べるために。一カ月間に及ぶ二人の捜査は、なんら成果を上げられることのないまま終了した。書かれていたのは偽の住所だったのだ。 とにかく寒かったしよく歩いたということを氏は記憶していた。そして写真集のページを捲った先の一枚を指差し、「このハンチング帽は岐阜で買ったんですよ」と言った。撮影は岐阜から帰還した3月に行われたという。犯人を特定し足取りを追う真っ最中に二人の捜査官を遊ばしていたとは考えにくい。 撮影の日数は、20日間とされているが、正確にはのべ20日というぐらいだったかなあ、というのが氏の記憶だ。 ちなみにハンチング帽の件だが、茨城からずっと派遣されたままで、自宅が大塚の向田氏とは違って、出先でいろいろ着るものを買い揃えていたのだとか。
「A criminal investigation」の写真をみて誰もが思うのは、まるで映画のようだという感想だ。確かに周囲の人たちでさえあたかもエキストラのように、カメラを気にしていない。だが、実際には例えば汽車の三等席の待合室では、物乞いがカメラを持つ渡部氏に群がりそれに小銭を上げることもあったそうだ。 時代はまだ東京が焼け野原になった戦後から十数年、今の感覚でいえば9.11よりずっと最近のことだ。

 適当に書き進めたのでなにかいろいろと書きこぼしていることがあるとは思うけれども、また後でいろいろ加筆修正します。 向田力氏は残念ながら警察を定年退職した翌年に亡くなられていた。 
 
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 緑川勝美さん。
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 お話の後にお稲荷さんをご馳走してもらった。 笠間が栗の産地というので、お稲荷さんの中は栗ごはん。笠間のお稲荷さんは日本三大稲荷の一つなのだとか。
by atsushisaito | 2012-10-08 17:55 | 写真展 | Comments(0)
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